日本での始まり

サッカー王国ブラジルのサンパウロで生まれ、サンパウロで右足を失い、サンパウロでアンプティサッカーを始め、アンプティサッカーのブラジル代表まで登りつめたエンヒッキ・松茂良・ジアス選手(愛称:ヒッキ)が2008年、18歳の時に仕事の都合で日本に住み始めたことが、日本アンプティサッカーの歴史の始まり。

当時、日本でアンプティサッカーは存在していなかったが、ヒッキ選手が周囲に「アンプティサッカーってスポーツがあるよ!」「片足がなくなってサッカーできるよ!」と広め始めてから2年後の2010年に国内初のクラブチーム「FCガサルス」が誕生。

その2010年にFCガサルスを母体とした日本代表チームが初めてワールドカップ(アルゼンチン大会)に出場したが、3戦全敗(得点:1 / 失点:28)に終わる。

翌2011年12月に記念すべき第1回目となる日本アンプティサッカー選手権大会が開催し、FCガサルスとFC九州バイラオール、TSA FCの3クラブが出場し、FCガサルスが初代チャンピオンに輝いた。

2012年は2度目のワールドカップ(ロシア大会)に出場するも、前回大会に続き一度も勝利をあげること無く敗退。

2014年には3度目のワールドカップ(メキシコ大会)出場を果たす。日本代表は前回大会からの急激な成長を見せ、グループリーグではアメリカとトルコに連勝し、決勝トーナメントに進出。惜しくもアンゴラに敗戦するも12位という成績を残した。

この頃から、アンプティサッカーの競技人口はもとより、クラブチームも増え始めていく。

すべてはヒッキ選手の溢れ出る熱量が仲間の心を動かし、仲間たちとの協働によって、日本アンプティサッカーの歴史が始まっていくのだった。



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